神子ひつ神社

古記録に永享年間(1424)の棟札があるとあるが今はない。
二川部落上ノ原の旧小学校跡にあったが、明治45年学校建設のため深み港飯牟礼神社に合紀した神社を神子密神社といい、この下を松崎の田圃といった。

同じく辺田の神社を神子ヒツ神社という。即ち松崎は松崎城の変化であり、神子とは安徳天皇のことで、佐賀県佐賀郡小田郷にある水上山寺に神子和尚が開山したという。神子和尚は安徳天皇であると同神社では言っている。

神子和尚が直ちに神子ヒツ及び神子密神社と相通ずるとは思えないが、辺田の神社は女神で、麓の神社のわかされだとしている。

大正3年桜島大爆発後荒廃していたが、昭和44年?(31年の間違いか?)永井氏が神殿を奉納した。石の鳥居は安永の洪水に流され、仁王像も上体がなくなっている。祭祀は2月初


仁王像の下部分

仁王像の横にある小さな石造りの社

上2体と対峙するように置かれている人物像
風化が激しく、顔がはっきりしない。

社正面上部に飾られている鶴の飾り物
 この社の神殿を奉納されたときに付けられたのでしょうか。永井先生の米寿のお祝いのアルバムに同じデザインがありました。