これまでの中で説明いたしましたが、800年以上も前のことであり、確たる証拠が残されているわけではありませんが、文献等からここが安徳天皇の陵ではないかと推測されています。

源氏の追っ手から逃れるため事実をひた隠しにし、隠遁生活を余儀なくされたことから考えると、確たる証拠がないこと自体当然なことと思われますが、居世神社に残されている話や七人塚等、研究の余地が残されているように思われます。

文化年間(1804~17)島津重豪公もここに参拝され、献燈玉垣を奉献、また有志にも献燈をすすめられたとありますが、陵の囲いの前に四体の献燈が残っています。これも大正桜島爆発で埋もれたものを現在の所まで掘り起こされたようですが、土台までは掘り起こされてはいないようです。