安楽備前守の墓

入船城大手の下の堀之内に石の祠(ほこら:一般には石の小倉)が有り、その中に収まっている墓石がある。
入船城最後の城主剃髪(ていはつ)して玄斉と改名した安楽備前守夫婦のものと思われる。

法名清休庵居士、天正三年(1575)十二月十四日卒とある。
安楽備前の守は、肝付・島津の隆替をかけた大隅・薩摩の分け目の戦に善戦、よく籠城して、遂に島津方より和睦を申し込ませ、城を明け渡した勇将である。

合戦による敵味方戦死者も多く、義久公より詠歌一首矢文が送られている。

弓はうし根は折れよとも引替へて
甲を抜かばやがて安楽

依って恐れながら備前守、

引くもうしねらう心も武士の
梓の弓の縁なりせば

を返している。