広田家庭園

広田家は牛根麓にあり、藤原氏の後裔(こうえい)である。三十代前の租廣田丹後守安重は薩摩に入って島津忠時に使えた(建歴二年1208年~)。十五代前の租安国丹後守の時肝付氏没落により牛根松ヶ崎城に土着して郷士となり藩政時代広田家の近所にある禅宗花蔵院東光寺の門徒となった。

広田家の門を入ってすぐ左にある庭園池は長さ十メートル、幅は広い所で三メートル、狭い所で一メートル、周囲には奇岩怪岩珍岩が巧みに配置され中央には橋をかけ崖辺には梅ツツジ等がうまく植え込まれている。

江戸時代初期、乗舟寺の和尚の手によって造園されたと伝えられているが、古色蒼然たる中に豊かな技巧が伺われ、古梅は根元回り一メートル以上もあり、数百年の歴史を物語っていたが枯れてしまった。

 太守島津重豪(しげひで:1745~1833)は、牛根麓の陵に参拝の折り、広田家に立ち寄り庭園池をいたく賞賛したという。

 また、鹿児島大学西田教授の昭和四十二年調査報告書によると、仮山石組座を主景とした風影式で、全国的にめずらしい貴重な文化財であると認定されている。
 仮山石組は、我が国では鎌倉時代の初頭から始められ、甲府市の東光寺に築かれているものが最も典型的なものであるといわれる。