稲荷神社跡


国道二百二十号線沿いの牛根麓居世神社後方五百mの八田の久富木枡右ェ門氏のビワ畑の小高いところにある。

天正二年(1574)牛根城落城後、安楽備前守兼寛より城明け渡しを受けた島津義久は部下の将伊集院魯笑斉久道を牛根郷の地頭として治めさせた。久道は庶民の民心を慰撫するために、島津の氏神である稲荷神社を天正三年九月十三日(1575)に創建して神田を与えてこれを崇拝せしめたという。

神体は掛け軸であったといわれているが今は何もない。伊集院久道が牛根城にあった荒神を降ろしてきて合祀したともいわれている。
牛根神社帳に依れば祭日九月十三日と十一月二十八日、神供三膳、神楽内侍舞神社四敷二間、上家茅葺(かやぶき)、鳥居石高一丈一尺五寸、向拝より八間とある。

現在は大正三年の桜島大爆発の降灰で埋まっていたのを掘り出したもので、高さ1.45mの鳥居が現存するのみである。社殿の一部には月輪の石灯籠が奉寄進したのがある。神楽等の踊りが盛んで大変にぎわったものだ、と古老達は話している。