壇ノ浦と松ヶ崎

鎌倉時代落人部落の伝説

前述の通り、麓の地名には平家と関わりのある地名や、土地の人々の姓にもその関わりを伺わせるような名称が多い。

硫黄島大権現本縁に拠ると、周防の国八島を出た非戦斗員一千三百今名三百余艘の小舟に乗った一行は、小松中納言資盛、大納言時房、業盛、経正等の上層階級が指揮をとり、寿永四年(1185)三月十五日未明に伊予の高島に着いた。高島とは愛媛県佐多岬の沖にある小島である。

高島より日向の細島に着いて、一行は此所を船溜りとした。そして福原越後守等を宇佐八幡宮参りの山伏に仕立てて、周防八島に別れた主力戦隊の動向を、豊前豊後の国に於いて伺わせた。

然るに豊後に入って聴いたニュースは、主上の(是は主上の身代りとして時房大納言の女総君)戦斗本隊は二十日関の戸に着いたとの噂が騒然として国中に拡がり、人馬が皆関門地方さして馳せ参ずる由を聞いた。

さてこそと引返した福原の報告に、油断ならじと細島を出港したが、旧暦三月二十日過きの日向灘は東風北風の吹き荒れる頃で、一歩港を出れば大波は打寄せ、船団を組む処の騒ぎじゃない。瀬戸内海で調達された丸木舟は木の葉の様に弄され、只主上の乗船の唐船のみが漸く安定を保つ程度の始末。

途中の海岸耳川を遡って辿りついていた所が現在民謡で名高い椎葉てある。是に似た所は、日向の対岸及其の奥地に多い。大淀川の上流四家、小野、海岸近くの日南の北方、大納、鳥羽、七ツ島、名谷、大隅の安楽川、肝付川の上流等がある。

硫黄島に着く前、一族郎党は大隅の内之浦、岸良、大浦、辺塚等にも、多聞にもれず分かれ分かれに流れついている。

そして硫黄島に着いた主上一行は、寿永四年五月一日出港時千三百名の公達郎党一行も、僅か三百名に減少していた。故に大隅地方に平家一族の落人所が多いのは、随いて行けなかった郎党の一族である。

加うるに玉葉(兼実日記)によると、寿永四年は春より秋にかけて、大早魃、大洪水、大暴風雨と来ている。神仏を一途に帰依していた当時の人々は、平家の崇りであるとしたが、それではあるまい。況や颱風銀座の薩南群島、此の災害を免れる筈はない。

七〇〇年前の気象条件と現代の気象とは、そこに多少のすれはあるにしても、地球の大変動のない限り、海岸の流れにしても大抵変わらぬことは明白である。

船中の旅の長かった為、主上の陸地ことに内地を慕わせ給うことは、高山町四十九所神社の旧記にも出ている故に其の年も暮に近く、主上一人のつもりにて、牛根麓の居世神社のオツキ崎に漂着されたのを、無理に欽明天皇の第一皇子とし、偽って時代を誤魔化した。

根占町の辺田目、野尻野部落、大根占の皆倉、池田、塩屋、田代の大原、垂水の段、市木、浦之谷、江之島、牛根の麓、陵、居住神社、口輪、弁天、福山の大廻、曽木野等は皆、平家の落人の居着いた所である。

鎌倉時代落人部落の伝説  一方辺田地区には、壇ノ浦の戦いの後、九州を西回りで南下してきたといわれる平家落人一行が住み着き、一帯で統制のとれた日々を送ってきたということです。

この人達は、平家の水軍の船や技術を持ち、それによって島津から認められていたようで、牛根の辺田一帯の広い土地を領し、平野家を中心に生活していたようです。

昭和66年の南海タイムスに、次のような記事があります。

平野屋敷

平野家の家伝によると、平野家の一族で、壇ノ浦の合戦に敗れ、安徳天皇入水の後平氏の落人として西下、この牛根の地に潜居、土着した。片や源氏の領国。だが鎌倉幕府とて必ずしも安泰ではない。

農民支配を打ち立てた幕府だったが、常に民衆からの反乱を危惧し、平家の落人まで絶滅させることができなかった。落人達は瀬戸内を船でわたり九州に潜んだ。

その代表的な地名に、五木、五家荘(熊本県八代郡・球磨川の水源で仁田尾、葉木、樅木、久連子、椎原)がある。それから四百年源平合戦の恨みは歴史の彼方に消え、中世から近世へと流れてゆく。

「平野屋敷」は上屋敷と下屋敷がある。錦江湾を隔てて、前は桜島、後には鵃(びしゃご)岳がそびえ、鹿倉峠に続く。山林だけでも七十町歩に及ぶ山地を有し、陸田は「平野原」と呼び名された。名字帯刀も許された士族だった。

平家の侍大将に平野姓は見あたらない。落人が本姓を明かすことはない。平家の「平」と野武士として忍んだ「野」を隠し名字として平野をもじった。その平野氏も現在三十六代目。比美子さんしかいないため養子、利孝氏が継いでいる。

「昭和二年火災にあった。祖母が一人住まいだったため、手が回らず、家系図、古文書もすべて灰。特に宝物にしていた秀家公ゆかりの品々も悉く消失した。」と頭をたれる。

この平野家については後述の宇喜多秀家のところでもう一度触れます。

おつき崎にある石碑

ここは、小烏神社のあったところで、この石碑だけが残されている。
安徳天皇が荼毘に付されたところだと伝えられている。