入船城攻防

松ヶ崎城(入船城)は麓の山側に、かつての平家が源氏方の探索に備えるため山砦をもうけたのが始まりといわれています。その後幾多の変遷の後、ここが島津、肝属の決戦の場となり多くの犠牲者を出した後、この地が島津の直轄地となっていきました。早崎の塁や遠く日南までを巻き込んだ戦乱は天正二年(1574)正月二十四日両軍の和解という形で決着がつきました。しかし、その後の運命は肝属方には過酷なものであったようです。

現在の入船城(松ヶ崎城)

昔の松ヶ崎の海岸は、麓の西側には入り江があり、そこに船が出入りし、港のようになっていたといいます。そこから麓にある山城のことを入船城と呼ぶようになったといわれています。

今現在の城山は登る人もなく、荒れ果て、クズのつるが山を蔽い、登るのには勇気がいる状態でした。かまと剪定ばさみでつるを切り、枝を落としながら登ること二日目、遂に頂上に立つことができました。頂上の中央には高い一本松があり、それを目印にして本丸高地の探検でした。

一日目はこのような藪に阻まれてあえなくダウン。この城山の中央部が木が生えていない雑草原になっています。

二日目は刈り込みばさみで上写真の藪を払い、雑草原を抜けると左のような休憩には丁度いいくらいの広さの平なところに出ました。
しばしここで休憩。これから道なき道を登ります。

更に上に上がると見晴らしのいいところに出ました。ここまでかなり急な坂などがありましたが、何とかクリア。
しばし休憩。ここからの見晴らしはとてもよく、麓の町並みが一望できます。

この入船城の象徴とも言える一本松です。これが見えてくると頂上はもうすぐ。ほっと一息入れましょう。

頂上の本丸高地はまさに藪。
藪を切り開き、一本松を目指します。ここには椿が何本か植えてありました。
また、登る途中には何本もの大きな木が横倒しになったり、切り取られたりして置いてありました。

頂上の平らなところはだいぶありますが、山城というイメージではありません。しかしかつていにしえの時代の城跡かと思うと身が引き締まります。今はもう、かつての城の痕跡も残っていません。

一週間後、三回目は正面から登りました。
写真左の山は早崎の累です。ここも山城で見張りが置かれていたところです。島津が攻め入り、逃げ場を失った武士がここの崖を飛び降りたという話が残されています。が、これには肝属方の別の言い伝えもあります。

正面の草原にも椿の木がありますが、クズのつるが巻き、幹は大きく曲がり、つるに絡み取られそうな様子でした。手入れされていないとつるの脅威が襲ってくるようです。

ここからの眺めは最高です。麓が一望でき、錦江湾の碧さと桜島の遠望がとても気持ちよいです。
いにしえの武士達もこの眺めを楽しんだのでしょうか。


頂上には多くの倒木があります。

こちらも大きな倒木です。

一本松の根元です。そんなに大きくはありません。

藪のような平らな地面です。

奥の大きな木の所が一番高いところです。

周囲を取り囲むような道です。