
島津越前の守忠栄は寛永14年(1637)牛根地頭に任ぜられ、寛永19年9月牛根で死去、あとを子息民部少輔久基が嗣いで寛文2年頃まで在任している。
牛根地頭は交代が激しく親子二代約30年の在任は珍しく、地頭としての墓はこれだけである。
墓は牛根麓の墓地にある。
牛根地頭は交代が激しく親子二代約30年の在任は珍しく、地頭としての墓はこれだけである。
墓は牛根麓の墓地にある。