桜島大噴火

この写真は麓の旧国鉄線路跡から入船城の左側にある小高い丘(山)を撮ったものです。
何処にでもありそうな丘の風景ですが、この中に大正3年の桜島大爆発の貴重な跡があることに気づかれるでしょうか。

前ページをズームアップした写真です。鳥居がはっきりと見て取れると思います。

この鳥居は稲荷大明神の鳥居で、入船城攻防(天正2(1574)年)で安楽備前守兼寛より城受け渡しを受けた島津義久は部下の将、伊集院魯笑斉(ろしょうさい)久道を牛根郷の地頭として治めさせました。久道は庶民の民心を慰撫するために、また島津の権勢を誇示するためにも、島津の氏神である稲荷神社を天正3年9月13日に創建して神田を与えてこれを崇拝せしめたといわれます。

現在のこの鳥居は、大正3年の桜島大爆発の降灰で埋まっていたのを掘り出したもので、高さ1.45メートルの上部分が現存するのみです。
文献ではこの鳥居の高さが3.5m(一丈一尺五寸)あるということです。恐らくこの鳥居の下には階段があると予想されますが、今となっては完全な復元は難しいようです。むしろ、桜島黒神の埋没鳥居とともに、桜島大噴火の歴史を伝える貴重な史跡としての役割を担っていくのでしょうか。

このような鳥居を埋没させるような降灰が牛根を襲い、その被害は桜島と同様に筆舌に尽くしがたい大変なものがあったようです。以下のページでその一端をご紹介したいと思います。

稲荷神社跡

なお、この鳥居の上には、これも大変古いと思われる社や石碑等があります。下の道路から登ること五分くらいの所ですが、一度間近でご覧になってはいかがでしょうか。